枕木危さん
2016/09/08 23:15
新潟はキハの聖地だったのですね、名古屋に眠れるキハ181-1を高松発のしおかぜ1号で対面したこともありました、後に高松工場で中間車を181の運転台付に改造した車両もあったようです、新潟生まれの山陰育ちの兄弟は外国譲渡か?津山に保存されてる兄弟が解体されずに隠居の場に牽引されていく姿は嬉しくも寂しくもありました、国鉄キハの物語は跡絶えることありませんね、何処かの放送局でSL機関士がSL引退を控えキハ181の運転講習に挑むレポートをやってましたが真に生き物相手の調教のようでした、
2016/09/08 21:40
私の中では国鉄ディーゼル機関=新潟鉄工所というイメージです。
現在はコマツ製がブイブイ言わせてますが、国鉄→JRになり全国一元化の必要がなくなり、JR各社の事情で『国鉄サウンドも遠くになりにけり』で寂しい限りです。
2016/09/08 20:23
国鉄車両はJR色も着こなしてましたね、JR車両は製造効率優先のデザインから国鉄色は着こなせないかもしれないですね、キハ80も晩年は極寒の地に転属の後は函館から網走や釧路の、おおとり、おおぞら、今で言うスーパー北斗とスーパーおおぞらなどの札幌中継を一任してた時代でした、キハ80系列の中間車両にはDMHが2基装備され、181はそれをDML1基で上回る性能は大排気量とターボと多段変速機と言った時代の幕開けになりましたね、後に進化型が直噴、環境問題からコモンレールにハイブリッド、なんだか重臣的な181以降、牙を抜かれた感もありますが国鉄からのDNAは消さないでほしいですね
2016/09/08 00:44
昔、九州に旅をして『ゆふいんの森2世』を撮影した時に出会った学校の先生のお話ですが、国鉄時代に特急といえばカラーリングで判りそうなものですが、学生さんからしてみれば、特急列車はクハ181系、クハ183系等々の高運転台のイメージが強く、あわてていて箱形のキハ181に普通列車と間違えて乗ってしまった事があったそうです…(汗)。
同じ箱形でもキハ82はエンジンこそ非力でしたが、横から見た時に、シルバー色で屋根上の逆台形の様な空調機器などのフォルムは綺麗で格調の高さを感じます。
対してキハ181は可吸気エンジンでパワーアップし、黒を基調として先頭車と中間車で違うフォルムは重厚感を感じます。
いずれにしても、国鉄色国鉄形車輌を観ると今だに色褪せない感じで魅了されます。
2016/09/07 21:29
似ても中身は別物でしたね、運転台の計器類は現在の列車の原型とも言えるデザインでエンジンは駆動専用と発電専用に別れ客席数を犠牲にして、ラジエターは天井に移植されました、変速機も確か?直結三段?これって後のキハ183ですら装備されてない自動変速機であった記憶があります。勾配区間への対策として変速機の多段も有効だったと聞いてます、早朝の高松駅で、しおかぜ、南風が並んで出発を待つ光景はまさに国鉄絵柄ですね、
2016/09/07 19:26
キハ82は篠ノ井線などが電化されるまで特急『しなの』で使用されていました。
勾配、カーブ、寒冷地、パワー不足?などでかなり苦労された様ですが、後にキハ181が登場。吠えろターボエンジン!
残念ながら電化されて『しなの』は振り子式の381系になりました。
1998年長野オリンピックの関係で383系に置き換えられましたが、番台こそ違え、381系は『やくも』でまだ現役!
よく走ってくれています。
しかし、国鉄形車輌の引退が続き寂しい限りです。
先日、583系秋田車が長野に来ました。
新型車は発車時のスムーズ感、乗り心地、高速移動手段等々で快適だと思います。
個人的には、国鉄時代の車輌ののんびり感、ガタゴト感、モーター音、エンジン音などは移動手段の他に、ストレス社会の中で、旅情を感じさせてくれる心の癒やしです。
2016/09/07 15:52
いいですねEF64改めて口にしたり字に書いたり良い響きです、勝沼ぶどう郷でしたか?初期型を廃線になった旧線のレンガ作りのトンネルを歩いて見に行きました、私は新宿からEF64の牽引する夜行の急行アルプスによく乗りました、丁度、新宿から松本、長野行きの普通列車があった頃ですね、スカ色の115系?の末端にクモハ?貨物車が連結されてました。因みに165系?急行アルプスの夜行にも湘南色の末端にスカ色のクモハが連結されてました、夜行で小淵沢に降り立てば小海線のキハ52が夜中でも車庫でアイドリングしてたのを思い出します、かつては相模線にも急行の役割を終えたキハ28も一時期走りましたが交換のタブレットや駅長の走る姿、今は何処の駅もデジタル化されて人影が少なくなりました、変な表現ですが私はステーションより駅であってほしいと常に思ってます、
2016/09/07 01:05
私の地元、長野では貨物牽引機がEH200に交代して久しいですが、まだEF64-1000番台も主にコンテナ用に運用されていす。
理由は中央線(特に東線)の使い勝手てで、秋の落ち葉の季節は落ち葉や冬等に空転が置き、御苦労するためだとお聞きした事があります。
地球環境や経営状態等の関係で、部外者があれこれ言えませんがが、機関車の車齢、軸重などの関係、保全や整備維持など人件費、経費削減などで、手間隙を惜しまなければまだまだ使用で使い勝手が良いと思われるな車輌が引退するのは寂しい限りです。
因みに昨年冬に小淵沢駅でEH200を除雪機代用で使用した結果、脱線して問題になりました、もしEF64重連だったら、除雪出来たのではないかと個人的に感じました。
国鉄時代に開発されたアナログ部分が多い機関車は、機関車の個々独自の癖などで御苦労も多いと思われますが、手間隙がかかり、効率悪い?アナログ部分もとても大切な事だと思いますが、皆さまいかがでしょうか?
長々とすみません。